アンナプルナ農場の気まま日記

信州伊那谷で有機農業に取り組んで20年。農場の「いま」をお届けします。

川喜田さん

あの川喜田二郎さんが亡くなったという。お会いしたことは残念ながらないけど、若い頃、彼の著作を夢中になって読んだことを思い出す。「鳥葬の国」「野外科学の方法」「発想法」「海外協力の哲学」・・・。

協力隊時代、任地からほど近いシーカ・パウダル村を訪れたとき、彼のグループが残した「ループライン」を見たことがある。遠くの山からも薪を集められるよう、沢越えに架線を敷いてあるのだ。実際に村人が使って見せてくれたが、人力に頼る集材を、動力を使わないで行ってしまうアイデアに感心した。さらにこの架線は移設が簡単で、一カ所の森林を集中的に伐採せず、輪伐のような感じで山を回していくことができる。「発想法」を駆使して村人達とアイデアを出し合い、設置にこぎ着けた彼の才覚とパワーには脱帽した。ただメンテナンスをする人間が限られていて、今はどうなっているのだろうか。

そうそう、トレッキングルートから外れて外国人が訪れることも稀なパウダル村ではその後、村人の要請に応じて地滑り対策工事をした。村の会議で建設が認められ、農場主が注文した塩ビ管を村人が総出で肩に担いで麓の町(ポカラ)から運んだ。直径30センチ、5メートルほどもある塩ビ管を、村人が無償でかつぐ。カースト身分制度)に関係なく住民が助け合う姿に、任地では考えられない、自治のあるべき形を見た思いで心底感動したものだ。

あれから二十年。工事の完了を見届けられず、その後風のたよりにうまく稼働して地滑りを防いでいると聞いたが、いまはどうなっているのだろう。湧水を地滑り地帯の地面にしみこませず、数百メートル離れた川へ放流するシステムだったのだけど。そう、これはループラインに刺激を受けて農場主が村人と発想法まがいの方法で編み出したものだったのだ。

このブログを見ている人で万一ネパールを訪れた人がいたら、ぜひダウラギリ山麓の村、パウダルを訪問して、現状を教えて欲しいものだ。

川喜田さんの死で、いろんなことを思い出した。若い頃の農場主に大きなあこがれを感じさせてくれた、今西錦司氏を中心とした京大探検部の猛者たちも、もうあと生きているのは本多勝一氏くらいだろうか。時代の終焉を感じる。

ヒマラヤ保全協会の活動など、長い間ご苦労様でした。ありがとうございました。合掌。