アンナプルナ農場の気まま日記

信州伊那谷で有機農業に取り組んで20年。農場の「いま」をお届けします。

「エニグマ変奏曲を聴く」 その16 マッケラス指揮ロンドンフィル

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 エルガーの人物像を語るうえで避けて通れないのが、貴族意識ないし特権意識という部分だろう。身分の低い家柄に生まれながら功績を認められてサーに叙され、数々の勲章を受けた彼は愛国的な作品をいくつも書いている。日本でいうと、黛敏郎のような右翼作曲家といってよいだろう。じっさい、毎年開催される英国の音楽祭「プロムス」最終日で、彼の「威風堂々」をはじめとする、かつての大英帝国をたたえる音楽が次々に演奏され、聴衆が熱狂的にそれを受け入れているのを見ていると、その独善性と閉鎖性に辟易しまう部分がなきにしもあらずだ。
 
 威風堂々の第一番といえば、エルガー自身がその中間部のメロディーに歌詞をつけた「希望と栄光の国」が、プロムスで聴衆の大合唱で歌われるのが名物になっている。そういえば1998年の長野冬季五輪でも表彰式でこの部分をインストルメントで使っていた。荘厳な雰囲気がよしとされたのだろうが、当時新聞記者だった私は、その歌詞が大英帝国をたたえ、領土拡大を求める内容であることから、リハーサルの段階で組織委員会側の人に伝えて変更を求めたことを思い出した。それは受け入れられず、記事にもできなかったが。かつての英国植民地から参加したような選手たちは表彰台でこの曲をどう聴いたのだろうか。
 
 繰り返しになるが、村上春樹のいう「壁」と「卵」のたとえでいえば明らかに「壁」側、あるいはそちらに立とうとしていた。大英帝国勲章を返還したあのジョン・レノンなどとは対極的で、野心家で鼻持ちならない人物だったように思える。反権力の立ち位置にいる私としては当然ながら好きなわけがない。でもいざ音楽となるとそんなものは吹っ飛んでしまう。むしろエルガー同様に「サー」称号を持ったような指揮者が英国のオケを振った演奏に感動を覚えるのはどういうわけだろうか。音楽の持つ力というのは不思議なものだ。

 余談が過ぎた。これはそんな一枚、おしゃれさや気品に加えて力強さも兼ね備えた名盤です。サーと言ってもオーストラリア生まれ、あのターリヒに師事してヤナーチェクも得意にしていた守備範囲の広い名匠。1986年、テンシュテット治世の充実していたころの同フィルによる自主制作盤で、シリーズでは初登場かな。

 けれんみのない、直截な表現。とりわけ疾走する第7曲「Troyte」や第11曲「G.R.S」ははかっこいいし、最弱音から始まる「ニムロッド」は匂い立つような高貴さが素晴らしい。終曲は小太鼓が大活躍し、最後はオルガンがメニューイン盤以上に豪奢に鳴り響いて締めくくられる。