アンナプルナ農場の気まま日記

信州伊那谷で有機農業に取り組んで20年。農場の「いま」をお届けします。

高野秀行著「語学の天才まで一億光年」

今年は珍しく正しい梅雨入りというかんじ。雨続きで田んぼや草刈り以外なかなか仕事ができず、こんな読書感想文を書いてみました。

 

アジアに広がる納豆文化に関する本と出会ってからここ数年はまっている高野秀行さんの新著。図書館で予約して借り、一気に読んだ。学生時代からアフリカや東南アジア、南米など世界各地をめぐり、25を超える言語を操るに至るその特殊な能力を自己分析した一冊。いや、面白かった。

思いつくままに、まず腑に落ちたのが言語を話すときは「ノリ」が大切、ということ。タイ語は口を大きく開けて高めの音程で発音し、態度はなるべくなよなよと。隣のビルマ語になると音程を下げ、堂々とした態度で明るくしゃべるーといった具合。日本語がぼそぼそと相手の目を見ないで話すといいというのは笑った。外国人の日本語話者に違和感を抱くかどうかは発音云々よりこの態度によるのかもしれない。

多様な言語の遍歴を経たいま、「言語は驚くほど違って、驚くほどそれぞれ完成した美しさを持っている」と総括し、「人間はみんな同じなんだな」との結論に至る。

 彼が貪欲に語学能力を向上させていたのは20代のころ。思えば私もそのころ、学校で学んだ英語が全く話せなかったのにネパールで暮らしているうちにネパール語や英語の日常会話は問題なく話せるようになった。さらに民族語であるグルン語を現地で学んで辞書のようなものを作ったり、帰国後勢いでボルネオの一人旅に出かけた時もなんとなくマレー語を操れるようになってルマパンジャン(伝統的な長屋風の建物)に浸りきったりしていた。高野さんとほぼ同世代の私も20代前半でいくつか言語をクリアし、その後の人生いかんによっては彼ほどではなくともそこそこの語学能力に達していたかも、とちょっと思ったりする。残念ながらその後は日本に居着いてしまい、ネパール語や英語はもとより最近は母語の関西弁すら怪しくなり、信州弁とちゃんぽんを話すヘンな百姓になってしまったが。