アンナプルナ農場の気まま日記

信州伊那谷で有機農業に取り組んで20年。農場の「いま」をお届けします。

選挙

選挙が始まった。政権が変わってもやっている人は大して変わらない。だって小沢と管が一緒になっているようないい加減な党と河野太郎安倍晋三が一緒の懐の広い(?)党。このひとたちのどこに主義主張の収斂が可能なのか。でも空気が変わると政治が変わるかもしれない。アメリカの例をみるまでもなく。そんなことを考えているとウチダ先生のブログで名文に出会った。
以下、コピペ。長いので一部略。原文はhttp://blog.tatsuru.com/images/title_2006.jpgをごらんあれ。

マニフェスト
たまたま自民党マニフェストを家人から手渡されたのでそれを読む。(中略)
これは彫心鏤骨の名文だからである。
これを起草するためにどれほど細心の注意が払われたか、行間から窺える。
主語がないのである。
最初の文を見よ。
「戦後の日本を、世界有数の大国に育てた自負があります」
この主語は当然「自民党は」でなければならない。
しかし、それを書くと、次の文の「その手法」は「自民党の手法が」と解されるおそれがある(当たり前だが)。
しかし、「自民党の手法がこの国の負の現状をつくってしまった」とは書けない(書けよ)。
それゆえ、「負の現状」の有責性は「その手法」という、誰のものとも知れぬ、非人称的、抽象的なものに帰されることになる。
(中略)
先の文の動詞は「自負」であり、今回は「自覚」である。
どちらも「自ら・・・する」を意味する。
このような動詞のことを文法的には「再帰動詞」という。
主語を示すことができない(する必要がない)ときに、再帰動詞は用いられる。
「自負」というのは、「誰からの負託がなくても、誰からも信認されなくても、私は私に負託し、私を信認する」ということである。
「自覚」というのは、「誰に教えられなくても、誰に示されなくても、私は自分で自分に進むべき道を指し示すことができる」ということである。
ものごとを「決める」主体がないままに、ものごとは「決まって」ゆく。誰がそれをなしたかが問われぬままに、既成事実が積み重なってゆく。
「空気」だけが場を主宰しており、行動の主体が明示されない。
このような風儀をかつて丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」において剔抉してみせた。
東京裁判で、日独伊三国軍事同盟についての賛否の態度を問われたとき、木戸幸一内大臣も、東郷茂徳元外相も口を揃えて、「私個人としては、この同盟には反対でありました。」「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなり行きがあります」と答えた。
けれども、彼らはその「個人的意見」を物質化するための努力は何もしなかった。
(中略)小磯はこう答えた。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」
「個人的意見」より「も国策」は上位次元にある。
だから原理的に「国策の決定」は個人とは無縁の出来事なのである。
どのような政策を採用しようと、それが「いやしくも国策」であるとされる限り、政治家には「努力する」以外に何の選択肢もない。
だから、その国策がどれほどの災厄を国にもたらしたとしても、政治家個人には何の責任もない。
東京裁判のときの戦犯たちのエクスキューズはほとんどそのままのかたちで今日のマニフェストに繰り返されている。
裁判記録の引用のあと、丸山はこう結論している。
「ここで『現実』というものは常に作り出されつつあるもの或は作り出されて行くものと考えられないで、作り出されしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこからか起って来たものと考えられていることである。『現実的』に行動するということは、だから、過去への繋縛のなかに生きているということになる。」(丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未來社、2006年、109頁)
丸山が60年前に記したこの言葉はそのまま「現代政治」に適用することができる。
わがマニフェストに横溢する「主語の欠落」は、単に「自民党的なもの」を超えて、この国の政治風土の本質的なものを指し示している。
どのような政治的過失についても反省の弁を口にせず、すべての失態を他責的な言葉で説明し、誰に信認されなくても自分で自分を信認すれば足りる。
そういうわが風土病的欲望が行間から露出している。
わずか数行でそれを開示しえた力業を私は「蓋し名文」と呼んだのである。
病は深い。